リレーエッセイ

名古屋広告業協会会員によるリレーエッセイです。

2021年11月1日公開
第60回「入社26年目、私の夢が叶った瞬間」

博報堂同期入社の横田君から、無理やりバトンを渡され、仕方なく受け取ることになったので、奇しくもリレーエッセーが始まって60回目を担当させていただくことになりました。
昨年4月、名古屋に着任直後に最初の緊急事態宣言が発出され、その後も会員各社の皆様とも、きちんとご挨拶できないまま、あっという間に一年半が過ぎました。ですので、この場をお借りして簡単に自己紹介をさせていただきます。
1963年に埼玉県加須市に生まれ、1987年に博報堂に入社、ラジオ局に配属されて以来、2003年に博報堂DYメディアパートナーズになりましたが、一貫してラジオ、テレビ業界でお世話になってきました。
その後2015年に関西支社に異動、そして昨年4月に縁あって中部支社長として赴任してまいりました。
自分のプロフィールの趣味の欄には「酒、ゴルフ、カラオケ」と書かれていますが、取り立ててお話しできるネタがあるわけでもなく、今回このお話をいただいた時に何を書こうかかなり迷いました。
結局何も思い浮かばず、であるならば禁じ手を使うしかないなということで、このエッセーの内容は、実は今から8年前、当時東京本社のラジオ局長時代に、とある業界誌に掲載させていただいたものの焼き直しです。おそらく、その業界誌をお読みになった方はほとんどいらっしゃらないと思うので、改めて手直しをして、掲載させていただきます。前置きが長くなりましたが、ここからが本編です。

私には、この業界に入社したその時からずっと思い描いていた夢がありました。この仕事をしていれば、いずれ出逢うであろうと思っていたその夢の相手とも、接点ができることもなくいたずらに月日が流れていきました。
今から8年前、突然その時がやってきました。とあるラジオ局でレギュラー番組を持っているアーティストの公開収録ライブイベントをやることになったのです。会場は、今はなき、六本木のSTB139というライブレストラン。
博報堂に入社してから26年間、ずっとこの日が来るのを待っていました。
当日のイベント開始前、バンドメンバーの皆さんにご挨拶する機会に恵まれました。私の夢が叶った瞬間です。私の26年間の想いを、初めてご本人に伝えることができたのです。
「実は、同じ高校のそれもサークルの後輩なんです。」
私の母校は埼玉県の片田舎にある県立高校で、今年、創立135年を迎える伝統と歴史のある学校です。しかし、それだけの高校でありながら、いわゆる著名人と呼ばれる卒業生がほとんどいない珍しい学校です。

私は在学中、軽音楽のサークルに所属していました。そして、音楽業界でも大御所的存在であるこのバンドの、ヴォーカルとベースのお二方が、そのサークルの先輩だったのです。
緊張しながらご挨拶させていただくと、向こうも驚かれたようでした。なぜならば、マスコミ・広告業界にも、めったに卒業生がいないからです。
そのイベントは、大盛況の中無事終了し、打ち上げの席で改めてお二方とお話しをさせていただきました。この26年間、ずっと一緒にお仕事をさせていただく機会をうかがっていたこと、お二方がいかに我らが母校にとって偉大な先輩であるかということ。
幸せな時間はあまりにも儚く、また何かの機会にお会いできることを約束して、私は夢から目覚めました。
あえてバンド名は書きませんが、オリジナルアルバム24枚、ライブアルバム8枚、アカペラアルバム3枚、ベストアルバム11枚をリリース、今年40周年を迎え、これまでに2400本超のライブを行ってきた日本屈指のライブバンドです。
その後、関西支社時代にも2度ほど、ご挨拶をさせていただく機会に恵まれました。
残念ながらこのコロナ禍の中、ライブ活動もままならなかったようですが、今年の1月からは40周年のツアーを全国で展開しているようです。
ちなみに、今はなき、このイベント会場STB139の支配人も、私の大学サークルの一つ後輩だったことも併せて記しておきます。

かように、人の縁とは不思議なもので、どこにどんな出逢いが待っているかは全くわかりません。 緊急事態宣言もやっと解除され、皆様ともリアルでお会いできる機会も増えてきました。 そんな皆様とも、また新たな出逢いが訪れることを切に願って、私のお話を終わらせていただきます。 最後まで読んでいただきありがとうございました。

【著者紹介】

広報委員
株式会社 博報堂DYメディアパートナーズ
シニアエグゼクティブ兼中部支社長

松本 雄一(まつもと ゆういち)